栃木のど田舎から米国へ

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2017年04月15日

私が体験した大きな失敗からの英語教育における大切な気づきをお伝えしていきます。

栃木のど田舎から米国へ

私の出身は栃木県の那須塩原市です。 合併して市になりましたが、もともとは塩原町という人口8000人程の町で育ちました。

私は親や先生の意向に沿う形で特に疑問を持つこともなく、中学、高校と勉強に励んできました。 しかし高校2年生の後半に突如として将来の進路を自分の意思で決めるという難題を突きつけられました。

当時の私は何となく周りを見渡して言われるがままに皆が通る道を進んできただけ。 世の中にはどんな職業があって、どういう生き方があるのか。またどんな大人がいて自分はどうありたいのか。自分の生き方を問われたことなどなく、まともに考えたことすらありませんでした。

大学への進学を前提としても、将来に大きく関わる学部を決めなければなりません。 一度学部に入ればその後の進路に大きな影響を与え、変更は容易ではありません。深く考えずに有名大学、有名企業という他者から幸福と見られる道もありましたが、それは魅力的には思えずもっと大きな世界でもっと深く自分の道を考えたいと思い最終的にアメリカに渡るという決断をしました。 親に作文を5回提出して渡米の許可をもらい、当時の留学にはTOEFLのスコアが 550点必要だったため、四六時中、英語に時間を費やしました。 栃木の田舎から350人の学年の中でアメリカに渡ったのは私だけでした。

「ここに座っていいですか?」

さて現実はどうだったでしょうか。TOEFLの点数も最低限はクリアし、アメリカに渡りました。しかし、実際にアメリカに降り立って待っていたものは、ほぼ何もわからない という現実でした。

日本で散々英語を勉強してきたにもかかわず、実際に海外の人を目の前にすると、一言も言葉が出てきませんでした。

アメリカ生活が始まってすぐのこと。お昼過ぎの大学のカフェテリアで清掃員のおじさんが一人で休んでいました。 私はどうにか誰かに話し掛けなければ、絶対に英語力が伸びないと焦っていて、このおじさんに話し掛けることに決めました。 ただ、そこで自分の英語力の無さに改めて驚嘆するのです。 「なんて声を掛けたらいいんだ?」。 あれだけ勉強してきたのに一言が出てきません。恥ずかしい話ですが、 初回は失敗。何もできずに一人で食事を取って終わりました。

次の日、またあのおじさんが同じ場所に座っています。 僕は、右手に食事のトレーを持って、左手に 「とっさのひとこと辞典」というフレーズ集を握って話し掛けに行きました。 昨夜練習したフレーズを言ってみようと近づいたところで頭が真っ白に。 苦笑いをしつつ、急いで本をめくって恐る恐る一言棒読み。

「May I sit here?」 (ここに座っていいですか?)

これが初めてアメリカ人に話し掛けた一言でした。 彼はこちらを気にすることなく、どうぞと言ってくれたのですが、 どっと汗が噴き出しました。 この日はこの一言で燃え尽き、翌日は 「What is your favorite past time? (あなたの趣味は何?)」と、また本に書いてある文章を読みました。 会話というには程遠かったと思います。 それでも一つ一つ自分が使える表現を増やしていきました。 休んでいるおじさんからすれば迷惑な話ですが、この毎日の積み重ねを通じて、話せないのは話してないからで、話せば話せるようになるという単純な事実を実感しました。 英語は教科や座学ではなく、コミュニケーションツールであり、トレーニングなんだということを思い知ったのです。


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